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王子窯について

登り窯の焚き口に火が入る様子(古写真)

INTRODUCTION|王子窯について

王子窯は、愛知県瀬戸市にある窯元です。江戸時代中期に創業し、すり鉢や甕といった日々の道具を焼く「本業焼」の窯として、瀬戸のやきものを受け継いできました。

現在は志野釉を中心に、すり鉢、器、花入など、暮らしに寄り添うやきものを作っています。

ORIGIN|王子窯のはじまり

王子窯は江戸時代中期、瀬戸で創業しました。当時の瀬戸では、陶器(土もの)を焼く本業焼が営まれており、王子窯もすり鉢や甕を中心とした本業製品を、薪を燃料とする登り窯で焼いていました。

創業当時の登り窯は13連房式で、戦後に11連房へ縮小されました。

本業焼について → 王子窯の窯と歴史 →

MORO|受け継がれる仕事場

明治33年(1900)に建てられた王子窯の「モロ」は、粘土置場とロクロ場を備えた仕事場です。乾燥を避けるため窓をほとんど持たず、一台のモーターで複数のロクロや土練機を動かす、近代のモロの構造をよく残しています。

この構造が良好に保たれていることから、瀬戸市の指定有形文化財に指定されています。いまも現役の作業場です。

昔のモロ。ロクロで作業する職人
昔のモロ。ロクロで作業する職人たち
現在のモロ。粘土置場とロクロ場
現在のモロ。いまも現役の仕事場

瀬戸市指定有形文化財『王子窯モロ』について詳しく見る ↗(外部サイト・新しいタブで開きます)

1968|最後の登り窯焼成

昭和43年(1968)5月3日午前8時、登り窯に最後の火が入りました。この最後の焼成を記録した映画『王子窯』(加藤雅巳氏制作)は、同年のカンヌ映画祭に入賞し、カナダ国際コンテストでグランプリを受賞しています。

最後の登り窯焼成。煙を上げる窯と、見守る人々(1968年)
昭和43年5月3日、最後の登り窯焼成
窯出しされたすり鉢と職人たち
窯出しされたすり鉢と職人たち

1969|重油窯での焼成

昭和44年(1969)、王子窯は窯を移し、重油窯での焼成に切り替えました。薪から重油へ。火の扱いは変わりましたが、すり鉢を焼く仕事はそのまま受け継がれ、志野釉のすり鉢づくりが始まったのも、この頃からです。

以来、半世紀以上にわたって王子窯の器を焼いてきた重油窯は、いまも工房の中に残っています。レンガのアーチが連なる窯の内部には、当時の火の跡がそのまま留まっています。

窯の前に積まれたすり鉢(古写真)
重油窯の前に積まれた、焼成を待つすり鉢
屋根の下に残る窯
工房に残る重油窯
窯の内部。アーチ状のレンガ
窯の内部。レンガのアーチが連なる

SURIBACHI|王子窯のすり鉢

王子窯の本業は、すり鉢です。三寸の小さなものから、料理屋で使われる尺八の大きなものまで。志野に限らず、灰釉、黒釉、飴釉など、すべての釉薬のすり鉢を作っています。

内側の櫛目は、一鉢ずつ手で立てています。

白志野すり鉢 入れ子
白志野すり鉢の入れ子

王子窯のすり鉢について →

EVERYDAY LIFE|暮らしの中のすり鉢

する、和える、つぶす、たたく、おろす。すり鉢は、調理の道具であると同時に、そのまま食卓に出せる器でもあります。生姜をすり、自然薯をおろし、ほうれん草を胡麻で和え、そのまま盛り付ける。ひとつの鉢が、台所と食卓をつなぎます。

志野すり鉢(五〜六寸)で生姜をする
する — 生姜
志野すり鉢(五〜六寸)でニンジンを手で和える
和える — にんじん
志野すり鉢(五〜七寸)でジャガイモをつぶす
つぶす — じゃがいも
志野すり鉢(八〜九寸)で和えたジェノベーゼパスタ
そのまま食卓へ — パスタ

すり鉢の使い方をもっと見る →

GENERATIONS|受け継がれるものづくり

加藤浅雄(11代)
加藤浅雄(11代)
加藤寛治(12代)
加藤寛治(12代)
加藤土史路(13代)
加藤土史路(13代) → InstagramInstagram(外部サイト・新しいタブで開きます)
仕事場で作業する加藤創也(当代)
当代・加藤創也

OUJIGAMA TODAY|現在の王子窯

王子窯の歴史と、これまで受け継がれてきたものづくりの土台を大切にしながら、これからの王子窯らしいものづくりに励んでいきます。

当代・加藤創也
当代・加藤創也

工房に併設したギャラリーでは、実際に作品をご覧いただき、お求めいただけます。工房の見学をご希望の場合は、事前にご連絡ください。

王子窯のギャラリー内観。木のテーブルに器が並ぶ
工房に併設したギャラリー

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